取調拒否権の思想(5)


個人の尊重

 取調拒否権とは何か。いかなる思想的根拠、法的根拠を有するのか。具体的内容はどうか。実践方法と留意事項は何か。そして、その効果はどうか。今回から取調拒否権の概要を明らかにしていきたい。

 まず取調拒否権の根拠である。一般に、自己負罪拒否権は憲法第三八条に由来し、憲法第三七条の弁護人選任権などとともに議論の基礎とされる。それは誤りではないが、取調拒否権を市民が有する基本的権利として構成するためには、まず第一に、憲法第一三条を踏まえる必要がある。

 憲法第一三条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。まず、「国民」とあるので、外国人は憲法上の基本権享有主体ではないとする学説も存在したが、基本権は国家以前の権利であり、日本国憲法は国際協調主義を採用しているうえ、「個人として尊重される」のであるから、国籍が要件となるのは疑問であり、外国人も個人として尊重される。

 次に「個人として尊重される」とは「一人ひとりの人間が人格的自律の存在として最大限尊重されなければならない」ということである(佐藤幸治『日本国憲法論』成文堂、一七三頁)。個人の尊重は「個人の尊厳」「人格の尊厳」とも呼ばれる。「『人格の尊厳』原理は、まず、およそ公的判断が個人の人格を適正に配慮するものであることを要請し、第二に、そのような適正な公的判断を確保するための適正な手続きを確立することを要求する」(佐藤、一七四頁)。

 また、「幸福追求に対する権利」は、個人の尊重を受けて「人格的自律の存在として自己を主張し、そのような存在であり続けるうえで重要な権利・自由を包括的に保証する権利」(佐藤、一七五頁)である。なお、幸福追求権の性格については人格的利益説以外に、一般的自由説もある。

 幸福追求権は個人の尊重と結びついて包括的な権利とされる。その内容は、第一に「人格価値そのものにかかわる権利」(名誉権、プライヴァシーの権利、環境権)、第二に「人格的自律権(自己決定権)」、第三に「適正な手続的処遇を受ける権利」に分けられる。プライヴァシーの権利と自己決定権とは重なるように見える概念であり、同じ意味で用いられることもあるが、より広い意味で用いられることもある。いずれにせよ、市民は取調べの客体として、追及的取調べを受け、望まない供述をすることを強要されてはならない。また、プライヴァシーの権利は表現の自由とも密接に関係する。個人のプラヴァシーをみだりに公表されないだけではなく、表現したくないことを表現させられないことも含まれる。表現するか、しないか。何を表現するかは、個人の自由である。取調べを強要することは、個人の表現の自由に国家が介入することである。そして、適正な手続的処遇を受ける権利である。これは憲法第三一条以下に詳細に規定されているが、まずは第一三条に由来するのである。

 国際人権法についてみると、世界人権宣言第一条は「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」とし、第三条は「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」とする。幸福追求権のような規定ではないが、尊厳と自由が確認される。国際自由権規約にはこのような一般的規定はないが、前文において「これらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを認め」て、各条で具体的な自由と権利を定めている。

自己負罪拒否権

 取調拒否権の第二の根拠は、憲法第三八条である。憲法第三八条は「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない」と定める。

 第三八条第一項の「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」を、憲法学及び刑事訴訟法学は「自己負罪拒否特権」と略称しているが、不適切である。「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と明示しているのであるから、普遍的権利であって、「特権」ではない。コモン・ローの伝統に由来することを表現するために「特権」という語が用いられているが、それ以上の意味はない。個人の尊重に照らし、人間性を配慮して、何人に対しても供述強要は許されないという意味である。

 また、第一項を、第二項の「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない」に強引に引きつけて解釈するべきではない。第二項は「強制、拷問若しくは脅迫」と明示しているが、第一項は端的に「自己に不利益な供述を強要されない」とする。「強制、拷問若しくは脅迫」があれば強要したことになるが、それがなければ強要したことにならないと解釈する理由はない。

 「自己に不利益な供述」とは「自己の刑事上の責任に関する不利益な供述、すなわち刑罰を科せられる基礎となる事実や量刑にかかわる不利益な事実などについての供述をいう」(佐藤、三四五頁)。

 重要なのは、第一三条の個人の尊重に照らせば、自己に利益か不利益かを問わず、あらゆる供述強要が許されないのに対して、第三八条では不利益供述に限定されていると読めることである。この点は刑事訴訟法第一九八条二項の黙秘権の理解にかかわる。刑事訴訟法第一九八条二項は「前項の取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない」とする。刑事訴訟法第二九一条三項や第三一一条一項も含めて、不利益供述に限定していない。憲法第三八条一項と刑事訴訟法の諸規定とを比較して、刑事訴訟法の黙秘権は憲法の保障の趣旨を拡大したものだとする学説があるが、不適切である。供述強要禁止は、第三八条だけではなく、第一三条の要請でもある。刑事訴訟法の黙秘権規定は憲法の要請を正しく反映している。第三八条は、特に不利益供述禁止を強調したものと理解すれば足りる。

 国際人権法についてみると、国際自由権規約第一四条三項(g)は「自己に不利益な供述又は有罪の自白を強要されないこと」を権利と定めている。この条項の解釈については、前回紹介した葛野尋之『未決拘禁法と人権』(現代人文社、二〇一二年)参照。

救援連絡センター『救援』523号(2012年11月)
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