取調拒否権の思想(6)


 今回から取調拒否権の具体的内容を論じる。市民が権利主体として取調拒否権をいかに位置づけ、いかに我がものとし、実践するかである。取調拒否権の行使の在り方と言ってもよい。前回論じたように、取調拒否権の根拠は個人の尊重と自己負罪拒否権であり、その両輪を抜きに論じてはならない。自己負罪拒否権だけを念頭に置いて、しかもこれを「特権」として理解するべきではない。誰もが有するという意味での普遍的人権の一つであり、人格権の一側面である。

誰でもできる黙秘権を

 自己負罪拒否権は、直接的には憲法第三八条一項に規定されている。刑事訴訟法第一九八条二項は被疑者、同法第二九一条三項及び第三一一条一項は被告人の黙秘権を規定する。黙秘権について、従来、憲法学及び刑事訴訟法学では、第一に自己負罪拒否権との関係、第二に黙秘権の主体、第三に黙秘権の告知、第四に黙秘権の対象範囲をめぐって議論してきた。救援団体や弁護士は黙秘権行使を実践的に論じてきたが、法学としての議論は右の四つに絞られていたと言ってよいだろう(行政手続については別論)。

 第一に、自己負罪拒否権との関係である。憲法第三八条二項は不利益供述に限定しているように読めるが、憲法第一三条の個人の尊重をもとにすれば、利益不利益を問わずあらゆる供述強要が禁止されるのが当然であり、黙秘権規定もその趣旨である。

 第二に黙秘権の主体である。刑事訴訟法は被疑者・被告人の黙秘権を定め、憲法第一三条及び第三八条一項は何人も供述を強要されないことを定めている。何人も黙秘権を有するが、法は特に被疑者・被告人について明示規定を掲げた。

 第三に、刑事訴訟法は黙秘権の告知を定めているが、憲法第三八条二項が告知を要求しているか否かについて判例・学説は否定的とされる。しかし、憲法第一三条及び第三八条二項の双方に根拠を有する供述強要の禁止であるから、告知がなければ権利保障とは言えない。アメリカにおけるミランダ・ルールと同様に考えるべきである。

 第四に、黙秘権の対象範囲として氏名の黙秘が問われてきた。一九五七年二月二〇日の最高裁判決は、氏名の供述は原則として不利益供述に当たらないとし、氏名を黙秘した者による弁護人選任届を無効とすることは第三八条二項に反しないとした。しかし、憲法第一三条も黙秘権の根拠であり、いかなる供述強要も許されない。憲法第三八条二項も、許される供述強要と許されない供述強要を区別していないし、そのような区別の合理的基準を示すことはできない。それゆえ、包括的黙秘権を保障しなければならない。

 第五に、黙秘権行使の実践である。従来、被疑者・被告人が黙秘権行使を選択すれば、供述強要はできず、供述しないことを法律上不利益に扱ってはならないという形で議論されてきた。

 しかし、これでは権利保障になりえない。以下では特に身柄拘束された被疑者について言及するが、長期にわたる勾留の下、取調室において捜査官による取調受忍義務を強制され、人格を侮辱する罵声を浴びせられ、執拗に供述を強要されてきた。黙秘権を行使するために、身柄拘束された被疑者は捜査官と徹底対決し、あらゆる身体的苦痛と闘い、精神的抑圧に抗して英雄的な闘いを敢行しなければならなかった。黙秘権の意義を熟知し、その帰結を明確に認識し、供述強要と徹底的に闘う強靭な意思が必要とされた。完黙(完全黙秘)が称賛されるべき英雄的闘争と理解されてきた。

 これでは黙秘権は憲法によって保障されるのではなく、当事者の闘う意思によって実現されるにすぎないことになる。黙秘権行使が英雄的闘いであってはならない。誰でもできる黙秘権の実践を考える必要がある。

出房拒否の実践

 黙秘権行使が英雄的闘いとなってきた理由は、何と言っても、代用監獄を利用した取調べ状況である。身柄拘束された被疑者の大半が拘置所ではなく、警察留置場に収容される。逮捕段階で七二時間、勾留が付されると一〇日プラス一〇日で、合計二三日間もの身柄拘束が強行される。この間、被疑者は家族にも職場にも連絡できず、外界の情報から遮断される。二四時間、身体と生活を警察によって管理される。取調室に移動させられ、捜査官の支配下、勝手気ままな取調べを強要される。弁護士との接見時間はごくごく限られている。取調べ時間が一時間なら、接見時間も一時間という当たり前のことさえ弁護士は要求しない。このように圧倒的に不利な状況において、被疑者は黙秘権を行使しなければならない。黙秘権を行使しようとしても、えんえんと取調べが続き、捜査官は質問を続け、被疑者を貶め、人格を攻撃する。黙秘権を行使できるのは、確乎とした思想を持ち、捜査官による強要に頑として抵抗できる者だけとなる。

 こうした状況を改める必要がある。黙秘権はすべての者が有する普遍的人権としての人格権の一側面でもある。実践困難な課題であってはならない。

 そこで注目すべきは出房拒否による取調拒否の実践である。先に紹介したように、二〇一一年二月二〇日、奇しくも最高裁判決から五四年目に、米軍ヘリパッド建設反対デモの際に逮捕・勾留されたAは、取調拒否を宣言し、出房拒否を実践した。

 「Aは『供述は任意であり、そもそも黙秘を公言しているのだから、取調室に行く必要がない。強制的に引きずってでも連れて行くつもりなのか。もしそうするなら徹底的に争うぞ』と言った。すると、留置担当官は『強制的には連れて行けないけど、取調べの刑事さんに直接言ってもらえる?』と言うので、『言うために出て行ったら、なし崩しに取調べになる。行かない』と返すと、それで終わった。他の日も呼びには来るが、『出ない』と言えばそれまでであった。」(本紙五一九号、本年七月)

 黙秘権を行使するのだから、何も話すことがない。従って、取調室に行く理由がない。取調室に行っても、捜査官による執拗な質問責めにあうか、侮辱に耐えるかしかない。時間とエネルギーの浪費である。身柄拘束された被疑者は、留置場の房で心静かに釈放の日を待つのが一番である。Aは次のように述べている。「当然権力の反撃もあるので楽観できませんが、転向強要・自白強要の温床である密室から自由であることの意義は大きく、自白中心主義を解体するための強力な武器になると思います」(同右)。

 市民には個人の尊重と不利益供述強要の禁止という憲法上の権利がある。刑事訴訟法では黙秘権の告知が要求されている。黙秘権行使を選択した市民は、拘置所に収容されようと、留置場に収容されようと、取調べを強要される理由がない。積極的に取調べを受けたい場合はともかく、捜査官の違法な取調べを避けるための一番の方法は取調室に行かないことであり、出房拒否である。これが被疑者の防御権の核心である。

救援連絡センター『救援』524号(2012年12月)
http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/12/blog-post_5532.html